高校の修学旅行で初めて京都に行ったとき、落柿舎の記憶が残り、その後も何度か訪れることになりました。それは多分、修学旅行の前に国語の授業で奥の細道を習ったからでしょう。落柿舎は、芭蕉に同行した向井去来の閑居跡。
幸か不幸か、人は、目に映るものをそれぞれのフィルターを通してしか見ることが出来ません。庭の造り手として、そのフィルターを磨こうと思うと、結局は自分の人格そのものを高めることしか方法は無いことに、あらためて思い至ります。「造り手の人格を超えて、庭は作れない」、大先達の名言。もう、その道への扉を開けただろうか、まだ叩き続けているのだろうか。近づいたと思えば遠ざかる道、終わらない道。大変な道に踏み込んでしまった。でも、歩むほどに楽しい道だ。やっぱり、天職だ。
今回の旅行で思ったこと。庭は庭、たかが庭、されど庭。いい庭は良い。時間とともに、人とともに醸し出される空間。奇をてらわない当たり前の空間がいい。打ち上げ花火のような派手さは無くても、炭火のようにじっくりと暖めてくれる柔らかさが飽きない。肩の力を抜いて庭を作ろう。カタチも本質も、人のフィルターを通る。住む人に寄り添った庭が、結局は残る。
できれば、住まい手のフィルターにも潤いをもたらしたい。。。煩悩かな。
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